トリスタンとイゾルデ バイロイト音楽祭

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JUL 2024 Next

トリスタンとイゾルデ Tristan und Isolde

 

作曲&台本:リヒャルト・ワーグナー

初演:1865年6月10日ミュンヘン宮廷劇場

 

あらすじ
 

第1幕:アイルランドからコーンウォールに渡るトリスタンの船の甲板

アイルランドからコーンウォールへと向かう船上。アイルランドの王女イゾルデは、コーンウォールのマルケ王に嫁ぐために乗船しており、マルケ王の甥トリスタンが船の舵を取っている。水夫の歌が聞こえ、歌詞に「アイルランドの娘」と出てきたことに、自分への侮辱を感じたイゾルデは身を起こす。侍女ブランゲーネがイゾルデの不機嫌を察してなだめようとする。イゾルデは、息が詰まりそうなので天幕を開けるよう命じる。音楽は、船が大海原を進んでいることを示す「海(航海)の動機」を繰り返す。

天幕が開き、水夫の歌が再び聞こえる。イゾルデは舵を取っているトリスタンの姿を見て、「私のために選ばれながら、私からは失われたあの人」と歌う。イゾルデはブランゲーネを使いに出し、トリスタンに挨拶に来させようとする。ブランゲーネから請われたトリスタンは、イゾルデの名を聞いてたじろぎ、職務を口実に持ち場を離れることを断る。トリスタンの従者クルヴェナールが「モーロルトの歌」で主人を称賛し、船乗りたちがこれを繰り返す。イゾルデの婚約者だったモーロルトをトリスタンが討ったことを歌にされ、イゾルデは怒りを募らせる。

戻ってきたブランゲーネに、イゾルデは「タントリスの歌」で過去を語り出す。 かつてイゾルデの従兄で許嫁でもあったモーロルトがコーンウォールに朝貢を要求し、トリスタンは決闘でモーロルトを倒した。しかし、このときトリスタン自身も深手を負う。イゾルデが優れた癒しの術を持つことを知ったトリスタンは「タントリス」の偽名を使い、彼女に治療を頼んだ。イゾルデはトリスタンがモーロルトの仇であることに気づき、復讐のために剣を用意するものの、トリスタンの哀れな姿に剣を取り落とし、治療したのだった。トリスタンはコーンウォールに戻るとマルケ王にイゾルデとの婚儀を勧め、そのための使者となった。したがって、イゾルデにとってトリスタンは婚約者を殺した仇であり、アイルランドからの「貢ぎ物」とされた原因でもあった。ブランゲーネはイゾルデを慰めるため、マルケ王との結婚がうまくいくようにイゾルデの母が調合した魔法の薬を各種持参していると話すが、イゾルデはブランゲーネに毒薬を用意するよう命じる。水夫たちの合唱が、陸が近づいたことを報せる。

上陸の準備をするように告げにきたクルヴェナールを、イゾルデはトリスタンの謝罪がなければ上陸しないといって追い返す。ブランゲーネはイゾルデに思いとどまるよう懇願するが、イゾルデの意志は固く、ブランゲーネは激しく狼狽する。

トリスタンがイゾルデの前にやってくる。イゾルデはこれまでの恨み辛みを語ってトリスタンを責め立てる。二人はお互いに惹かれ合いながらもそれを直接言葉に表すことができない。トリスタンは剣をイゾルデに差し出し、いまこそモーロルトの仇討ちを果たすよう申し出る。イゾルデは手を下すことができず、ブランゲーネに用意させた薬を「和解の薬」としてトリスタンに渡す。トリスタンは死を覚悟して杯をあおる。イゾルデはトリスタンの手から杯をひったくり、自分も死ぬつもりで半分残った薬を飲む。ところが、薬は毒薬ではなく、ブランゲーネがとっさにすり替えた媚薬だった。たちまち愛の炎が燃え上がった二人は、互いに名前を呼びあいながら抱擁する。この事態に恐れおののくブランゲーネ。船がコーンウォールに到着し、周囲の船乗りたちの歓声が上がる。現実に呼び戻された二人は、自分たちの身に何が起こったのか理解しようとしてもがく。

 

第2幕:コーンウォールにあるマルケ王の城中

コーンウォール城内、王妃となったイゾルデの館前にある庭園。狩りに出かけるマルケ王一行が吹き鳴らす角笛(舞台裏のホルン)が聞こえてくる。イゾルデは、王たちの留守にトリスタンが密会に来るのを待っている。ブランゲーネは、マルケ王の狩りがメーロトの進言によるものであること、メーロトはトリスタンを疑っていると懸念するが、イゾルデはメーロトはトリスタンの親友だとして意に介さない。

トリスタンが転がるように走り込んできて、イゾルデと抱き合いながら愛の言葉を交わす。これより長大な「愛の二重唱」。ブランゲーネは「見張りの歌」で二人に警告する。なお、実演では「愛の二重唱」前半の「昼の対話」部分が342小節に及びカットされる場合がある[18]。約15分間にわたるこのカットは、第3幕のトリスタンの長丁場のために、スタミナを温存させる配慮からなされたものである。後述の#録音について、ホラントによれば1951年のバイロイト・ライヴ以降、こうした短縮は基本的に禁じられた。「夜の国」を讃え、「愛の死」を歌い上げるトリスタンとイゾルデ。高揚する音楽がクライマックスを迎えたとき、突然ブランゲーネの叫び声が上がり、クルヴェナールが駆け込んできてトリスタンに逃げるよう告げる。しかし時すでに遅く、マルケ王とメーロトたち従臣が踏み込んでくる。

王の狩りは、トリスタンとイゾルデの関係を怪しむメーロトの密告に基づく罠だった。二人の裏切りを知ったマルケ王は長嘆しトリスタンに理由を問う。トリスタンは王に応えず、ともに「夜の国」へ行ってくれとイゾルデに話しかけ、イゾルデも「道を教えて」と応じる。メーロトがトリスタンに斬りかかり、トリスタンも剣を抜く。しかし、トリスタンはメーロトの剣にわが身を投げ出して重傷を負う。

 

第3幕:ブルターニュにあるトリスタンの本城

深手を負い、気を失ったトリスタンはクルヴェナールによってブルターニュの城に連れ帰されていた。トリスタンは意識を取り戻すものの、傷は悪化しており、クルヴェナールは治療のためイゾルデに使いを送ったことをトリスタンに告げる。これを聞いてトリスタンは興奮し、幻覚の中で近づく船を見る。トリスタンは錯乱の余り昏倒するが再び我に返り、クルヴェナールに船を探すよう命じる。海を渡って自分のもとへやってくるイゾルデを想像しながら恍惚とするトリスタン。牧人のイングリッシュ・ホルンが船影が見えたことを報せ、クルヴェナールはイゾルデを迎えに港へ駆け下りていく。

トリスタンはさらに興奮して包帯をはぎ取り、傷口から血が流れ出すのも構わず歩き出し、イゾルデを呼び続ける。イゾルデが大急ぎで現れる。倒れかかったトリスタンをイゾルデが抱き留める。トリスタンは最後の力を振り絞ってイゾルデの名を呼び、彼女の腕の中で息を引き取る。恋人の死に、イゾルデは気を失う。

牧人がもう一度船の到着を報せる。ブランゲーネ、ついでメーロトが現れる。クルヴェナールはメーロトを襲って殺し、メーロトにつづいてやってきたマルケ王とその家来たちにも撃ちかかる。致命傷を負い、トリスタンの足下で息絶えるクルヴェナール。マルケ王は2人の仲を許すためにイゾルデを追って来たのだったが、この光景を見て悲嘆に暮れる。ブランゲーネに介抱されたイゾルデが意識を取り戻す。これよりイゾルデの「愛の死」。神々しく面変わりしたイゾルデがトリスタンの遺骸の上にくずおれる。ロ長調の主和音による終結。

プログラムとキャスト

<スタッフ・キャスト>

 

指揮:Markus Poschner

演出:Roland Schwab

舞台装置:Piero Vinciguerra

衣装:Gabriele Rupprecht

脚色:Christian Schröder

照明:Nicol Hungsberg

合唱指揮:Eberhard Friedrich

ビデオ:Luis August Krawen

 

トリスタン:Stephen Gould

マルケ王:Georg Zeppenfeld

イゾルデ:Catherine Foster

クルヴェナール:Markus Eiche

メーロト:Olafur Sigurdarson

ブランゲーネ:Christa Mayer

牧人:Jorge Rodríguez-Norton

舵手:Raimund Nolte

若い水夫:Siyabonga Maqungo

バイロイト音楽祭

バイロイト音楽祭(独: Bayreuther Festspiele)は、ドイツ連邦バイエルン州北部フランケン地方にある小都市バイロイトのバイロイト祝祭劇場で毎年7月から8月にかけて行われる、ワーグナーの歌劇・楽劇を演目とする音楽祭である。別名リヒャルト・ワーグナー音楽祭(Richard-Wagner-Festspiele)。

「バイロイトの第九」から現在まで

戦後、ヒトラー崇拝を止めなかったウィニフレッドを追放し、ヴィーラント・ワーグナー、ヴォルフガング・ワーグナーの兄弟が音楽祭を支えることとなり、バイロイトの民主化が一応なされた。1951年7月29日、フルトヴェングラー指揮の「第九」(そのライヴ録音が名盤として名高い)で音楽祭は再開された。再開後初出演したのはクナッパーツブッシュ(クナ)とカラヤンで あった。再開されたとはいえ、音楽祭はなお資金不足が深刻であった。苦肉の策でヴィーラントらは、最低限の簡素なセットに照明を巧みに当てて暗示的に舞台 背景を表現するという、新機軸の舞台を考案する。舞台稽古初日、舞台を見回したクナは愕然とする事になる。いまだにセットが準備されていないのだと思い込 み、「何だ、舞台がまだ空っぽじゃないか!」と怒鳴ったという。しかしこの資金不足の賜物であった「空っぽ」な舞台こそが、カール・ベームの新即物主義的な演奏とともに戦後のヨーロッパ・オペラ界を長らく席巻する事になる「新バイロイト様式」の始まりであった。

事情が事情であったが、指揮者のクナやカラヤンはこの演出に大いに不満であり、カラヤンは翌1952年限りでバイロイトを去ってしまった。クナもそうするつもりであったが、1953年の音楽祭に出演し、以降の出演も約束されていたクレメンス・クラウスが1954年に急死してしまった。慌てたヴィーラントとヴォルフガングはクナに詫びを入れ、音楽祭に呼び戻した。以降、亡くなる前年の1964年までクナはバイロイトの音楽面での主柱となった。「新バイロイト様式」の舞台は、ヴィーラントとヴォルフガングが交互に演出しながら1973年まで続いた。1955年には初のベルギー人指揮者として、ドイツ物も巧みに指揮したアンドレ・クリュイタンスが初出演。また、同年ヨーゼフ・カイルベルトが指揮した『ニーベルングの指輪』は英デッカにより全曲録音され、これが、世界初のステレオ全曲録音となった。1957年にはヴォルフガング・サヴァリッシュが当時の最年少記録(34歳)を打ち立てた。1960年には初のアメリカ人指揮者ロリン・マゼールが、史上最年少記録の更新(30歳)を果たして初出演した。1962年には巨匠カール・ベームが、1966年にはブーレーズが、1974年にはカルロス・クライバーがそれぞれ初出演した。演出の方も、1966年にヴィーラントが亡くなってからは弟のヴォルフガングが総監督の職を引き継いだ。ヴィーラント亡き後、ヴィーラントの遺族とヴォルフガング一家が互いの取り巻きを交えての内紛に明け暮れ、そのスキャンダルも相まって、同族運営が大きな批判に晒されるようになったことから、1973年、リヒャルト・ワーグナー財団に運営が移管された。同財団の運営権はドイツ連邦政府、バイエルン州政府に最大の権限があり、次いでワーグナー家、バイロイト市、ワーグナー協会の順になっている。

1976年、ヴォルフガングは革新的な上演をもくろみ、音楽祭創立100周年の記念すべき『指環』の上演を、指揮者ピエール・ブーレーズと演出家パトリス・シェローの フランス人コンビに委ねた。シェローは気心知れた舞台担当や衣装担当を引き連れて、「ワーグナー上演の新しい一里塚」を打ち建てるつもりだったが、その斬 新な読み替え演出は物議を醸した。しかし初年度はブーレーズのフォルテを忌避するフランス的音楽作りともども、激しいブーイングと批判中傷にさらされてし まい、警備のために警察まで出動するという未曾有のスキャンダルになった。だがシェローは年毎に演出へ微修正を施し、ブーレーズの指揮も見る見る熟練して いったおかげもあり、最終年の1980年には非常に洗練された画期的舞台として、絶賛を浴びることとなった。

その後指揮者の顔ぶれは、レヴァインやジュゼッペ・シノーポリ、ダニエル・バレンボイムなどの若手や初のロシア人指揮者ヴァルデマル・ネルソンなど新しい顔ぶれに様変わりした。 2005年には東洋人として初めて大植英次が初出演を果たす。しかし、オペラ経験に乏しい大植の指揮は観客の不興を買い、1年で契約を打ち切られることとなった。翌年から『トリスタン』の指揮はベテランのペーター・シュナイダーに委ねられる。大植の降板劇は特に人種差別的なものではなく、過去の幾人かの指揮者にも起こった事態でもある。ヴィーラントと決裂してバイロイトを去ったカラヤンや、マゼールの先例もあり、ショルティやエッシェンバッハらも1年で降板している。バイロイトに限らず音楽祭での降板や変更は日常茶飯事であるものの、近年のバイロイトでは(かつてのブーレーズの頃とは違い)指揮者が激しい批判を浴びた場合、守るよりも手っ取り早く熟練した指揮者と交代させられるケースが増えてきている。

そのような中、2000年に『マイスタージンガー』を振ったクリスティアン・ティーレマンは久々の大型ワーグナー指揮者の登場として高い評価を獲得した。2006年からは『指環』の指揮を任され、音楽祭の音楽面の中核的存在となっている。

演出面では、シェロー演出の成功以降、ゲッツ・フリードリヒ、ハリー・クプファーらが舞台に現代社会の政治状況を投影する手法で新風を吹き込んだ。だが以降はこれといった新機軸を確立するまでには至っておらず、逆に目新しい演出へいたずらに走る傾向を「商業的」として非難する向きもある。近年ではキース・ウォーナーやユルゲン・フリムらが一定の評価を得た反面、クリストフ・シュリンゲンズィーフによる『パルジファル』のように否定一方の不評のままで終わる演出もある。

なお視覚面では、劇作家ハイナー・ミュラー演出の『トリスタンとイゾルデ』で、日本人デザイナー山本耀司が衣装を担当し、大きな話題になった。

総監督はカタリーナ・ワーグナーとエファ・ワーグナー(2009年)

戦後、長年に渡って音楽祭を独裁的に切り盛りしてきたヴォルフガング・ワーグナーがついに引退を表明し、後任を巡ってその去就が注目されていたが、先のように2009年からは彼の二人の娘が総監督の座を引き継ぐ事になった。現在はカタリーナ・ワーグナーとエファ・ワーグナーの二頭体制に移行した。

ただし、二人は姉妹とはいうもののヴォルフガングの前妻の娘と後妻の娘という腹違いの複雑な関係であり、しかも33歳差という年齢差ゆえに必ずしも 親密な関係とは言いがたいようだ。当初2001年にヴォルフガングが引退を表明し、後継者として指名されたのは長年『影の支配者』と云われていた後妻のグ ドルンだったがワーグナー財団によって否決され、ヴォルフガングは引退を撤回したという経緯があった。そして後継者レースの中で経験が少なく、若さやルッ クスのような話題などメディアを意識した挑発行為が目立つカタリーナへの疑問や、グドルンによってバイロイトを前妻とともに追われたエファがヴォルフガン グによって追放されたヴィーラントの娘ニーケ・ワーグナーと 組んで、カタリーナと舌戦を繰り広げるという格好のスキャンダルをメディアに提供するなど、非常に険悪だったかつてのヴィーラントとヴォルフガング兄弟の 骨肉の争いの再来ぶりに、先行きを危ぶむ声も多い。早速カタリーナは、2007年の新演出の『マイスタージンガー』の演出を自ら手掛け存在感をアピールし た。しかし、その挑発的な舞台は一部の観客からブーイングを浴び、批評家やマスコミの間でも物議を醸した。

翌年の2008年からは、舞台中継のネットでの映像ストリーミング配信や会場外でのパブリックビューイングが カタリーナの肝入りにより始められた(2008年は『マイスタージンガー』、2009年は『トリスタンとイゾルデ』が生中継された)。これにより、会場外 の観客や世界各国のインターネット・ワグネリアンたちにもこれまで以上に音楽祭の雰囲気を楽しむことが出来るようになり、代変わりしたバイロイトらしい新 機軸として評判になった。

そしてヴォルフガングが死去してから初めての音楽祭となる2010年、ついにテレビでの生中継が実現する運びとなる(後述)。翌2011年の第100回目の開催では、ユダヤとの関係改善を目論むカタリーナの計らいでイスラエル室内管弦楽団がバイロイトを訪れ、市内のホールにてロベルト・パーテルノストロの指揮によりジークフリート牧歌を演奏した。この年の初日の演目は新演出の『タンホイザー』。メルケル独首相やトリシェ欧州中央銀行(ECB)総裁夫妻ら、著名人が訪れた。

 

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